御山について

史跡 吉崎御坊跡案内図

史跡 吉崎御坊跡案内図

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※1 史跡吉崎御坊跡

史跡吉崎御坊跡

※2 見玉尼のお墓

見玉尼のお墓

見玉尼は蓮如上人の第ニ女で母は伊勢氏平貞房の娘如了(一四四八)の生まれ。七才で母を失い禅寺へ喝食にやられ、後京都吉田の浄土宗攝受庵見秀尼の弟子となった。
文明二年、三年と続いて伯母と姉を失い、三年の五月父蓮如上人を慕って吉崎へ来られたが間もなく病にかかり八月十四日に二十六才の若さで没した。その間に、吉崎御坊の完成を見て喜び真宗の安心を得て往生した。
上人は御文の中に「八月十五日の茶毘の暁方の夢に白骨の中から全佛が現われ蝶になって涅槃の都へ飛んでゆくのが見えた」と記されている。

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※3 本光坊了顕のお墓

本光坊了顕のお墓

吉崎の御山にあった多屋九房の一に本向寺(足羽郡市波元の寺号本光寺)了顕の坊舎があった。了顕が蓮如上人につかえていると文明六年三月二十八日夕方南大門付近の多屋から出火して吉崎御坊は猛火に包まれた。上人は親鸞聖人御眞筆の教行信証六巻の中信の巻を机の上に置いたまま持出せなかった。これを知った了顕(三十九才)は猛火の中へ飛び入り聖教を抱えたまま壮烈な殉教の死を遂げたと伝えられる。京都西本願寺所蔵の教行信証信の巻は「腹ごもりの聖教」とも呼ばれ昭和五十年六月重要文化財に指定された。

※4 馬場大路

馬場大路

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※5 北潟湖ビュースポット

北潟湖ビュースポット

※6 蓮如上人お手植えのお花松

蓮如上人お手植えのお花松

この古い幹の切り株は、蓮如上人が吉崎に御坊を建てられたときご自分で植えられた松の木の根もとであると伝えられている。天保九年(一八三六)の夏の初め、広如上人(明治四年没)が江戸へ行かれる途中吉崎でお泊りになり「吉崎の遺跡を拝し」と題して
花松のみあとを訪へば十かへりの
        春にもあへる心地こそすれ
と詠まれたのはこのお手植えの松であった。その後元のお花松が枯れたので代替の若松を植えた。それが成長して今のお花松になった。

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※7 加賀千代女の「すみれ草」の句碑

加賀千代女の「すみれ草」の句碑

碑文
うつむいた 処が臺や 菫草  尼素園

この句碑は昭和八年、蓮如上人銅像建立のとき建てられた。吉崎、加賀大聖寺の俳人仲間、小池桂石、田中閑山、倉本秋甫、金池虎岳、曽谷浄哉、橋本洸汀、七郎丸悠□、の名が側面に刻されている。
千代加賀松任の生まれで増屋六兵衛の娘、加賀前田藩足軽福岡弥八に嫁いだが、早く夫や子に死別した。幼少の頃より俳句を好み、各務支考にみいだされその名が知られ、のち、美濃派の俳人盧元坊や乙由とも親交があった。

千代は浄土真宗の信者であり、宝暦十二年(一七六二)千代尼六十才の紀行文の中に、
「やよいはつかあまり、よし崎まふでせむと旅立ちけるに…けふといふけふはじめてよし崎にまふでける。その嬉しさありがたさのあまり…」と題して記され、山上ですみれの花を見、浄土の花の臺を思いこの句を残したのだろう。
千代尼はこのとき、吉崎で次の三句をも残している。
○化生ケ市(加賀吉崎)にさしかかり、肌もあららな遊女たちをみて
 《 涼しさや はずかしいほど 行きもどり 》
○山上より鹿島の森をながめ
 《 うぐいすの どちらが鳴くぞ 水の影 》
○汐越の松をみやりて
 《 しお越の 松や小蝶の なかもどり 》

※8 蓮如上人の銅像

蓮如上人の銅像

この銅像は東京美術学校 教授帝室技術員 高村光雲氏(一八五二-一九三四)の作で、亀山上皇・大楠公・大西郷の銅像と共に光雲四大作の一に数えられている。銅像の高さ五メートル、御影石の台座約七メートル、昭和九年十月完成し、光暢上人が導師となって除幕式が行なわれた。
御在世のひびの御足を偲び泣く 句佛上人
銅像建護の発起者は丸岡町の酒井正造、笹野伊佐吉、吉崎の七郎丸勇の諸民で今上天皇御即位の大典を記念して越前加賀等各地の信者から多くの浄財を得て建設された。そのとき東西両別院の防火用貯水池も寄進された。

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※9 蛇女

蛇女 蛇女

※10 吉崎御坊の本堂跡

吉崎御坊の本堂跡

文明三年五月吉崎へ下向された蓮如上人はこの御山の地形が大変よいとして原始林を伐り開き整地をして七月二十七日から門徒衆の働きによりかたのごとく御坊を建立し諸国から集まる多くの門徒に眞宗の御法をおときになった。
照日寺(滋賀県多賀町)の古絵図によると本堂は南面し柱間五間四面、正面中央に向拝があって中に御本尊と親鸞聖人の御影像を安置し本堂の西側に庫裏と書院があった。吉崎御坊は文明六年(一四七四)三月二十八日火難にあいその後再建したが翌年八月二十一日再び戦国の動乱で焼失し上人は四年余りで吉崎を退去された。その後永世ニ年(一五〇六)三度火災にかかり御坊跡は荒廃のままとなった。

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※11 蓮如上人お腰掛けの石

蓮如上人お腰掛けの石

この石は蓮如上人御在世の当時から吉崎御坊の中にあったもので文明六年(一四七四)の「吉崎山絵図」の中に描かれているのはこの石であろうといわれている。その古絵図は蓮如上人が二人の弟子を伴い本坊の後の石に腰をかけて対岸の鹿島や波松のあたりの景色をご覧になっているところである。
それから五百余年の月日が流れた今もこの石を見て蓮如上人の御徳をお慕いする信者が絶えない。

※12 鹿島の森ビュースポット

鹿島の森ビュースポット

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