
正式名称を「真宗大谷派吉崎別院」(しんしゅうおおたにはよしざきべついん)と言い、地元では古くから「東別院」(ひがしべついん)と呼ばれています。蓮如上人が建立された坊舎跡地(通称:御山(おやま)現在は国指定史跡)の眼下に建つ木造建ての寺院です。今でも蓮如上人の由緒地に建つ寺院として、毎年遠近を問わずにたくさんの参詣者で賑わいます。
教えは親鸞聖人を宗祖とする「浄土真宗」で、京都市にあります「真宗本廟(通称、東本願寺)」を本山とする「真宗大谷派」のお寺です。
1415年、蓮如上人は本願寺第7代門主 存如の長男として生まれました。
第8代門主として、当時衰退していた本願寺を再興し、浄土真宗を日本最大規模の宗派へと発展させた「中興の祖」として知られます。
1465年(寛正6)、比叡山の僧徒に大谷本願寺(現京都市東山区)を破却された蓮如上人は、一時、近江堅田の本福寺(現滋賀県大津市)などに身を寄せることになります。しかし比叡山からの弾圧が続いたため、ついに都から遠く離れた吉崎(現福井県あわら市)の地に移り、1471年(文明3)に坊舎(吉崎御坊)を建立しました。
蓮如上人が吉崎で布教活動を行った期間は、わずか4年あまり。しかしこの短い間に、今日の真宗門徒の生活につながる3つの大切なお仕事をされました。
今日まで伝わる真宗門徒の行儀や宗風は、吉崎を起点に確立されたといっても過言ではありません。
そして、加賀・能登・越中・越前といった北陸の国々をはじめ、遠くは越後・信濃・奥羽からも、毎日何千人何万人ともいわれる多くの人々が吉崎に参詣したといわれています。

【参考文献】